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思い出の風景 遺跡編6 アニ

今回はトルコ東部・アルメニアとの国境に近い、アニです。中世に現在のアルメニアとトルコ東部を支配していたアルメニア王国の首都であった都市です。



現在ではその面影を残すのみですが、当時は「1001の教会の街」と呼ばれ、シルクロードの中継地としても栄え、芸術面・技術面においても世界で最先端の都市であったようです。

最盛期には10〜20万人もの人々が暮しており、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)やエジプトのカイロと並ぶ大都市であったアニ。現在は忘れられた遺跡となっています。

すべての建築物は地元産の玄武岩で作られており、美しい色と加工のし易さが生かされています。


真っ二つに、半分だけが残っているのがとても印象的な「救い主の教会」は1035年頃に建てられ、1955年に嵐によって東側半分が崩壊するまでは、ほぼ無傷であったそうです。




1001年に建てられたという「アニ大聖堂」は、幅30.5m、奥行19.8mという広さで、1071年にセルジューク朝トルコに滅ぼされた後は、イスラム教モスクとして使われていたそうです。




君主ミヌチールによって建てられたという「ミヌチール・モスク」の建造年ははっきりしないようですが、ミヌチールがこの地を統治した1072年以降であることは間違いないようです。川を見下ろすように建てられており、裏側はかなり崩壊しています。




1215年に完成したという、ティグラン・ホーネント(アルメニア人寄進者)の聖グレゴリオ教会。私達はガイドなしで訪れて気が付かなかったため、残念ながらこの教会には行っていません。アニ遺跡に残る建物の内で最も保存状態が良いらしく、内部にはフレスコ画が現在も残っています。(画像はWikipedia英語版より)残念!

とはいえ、サンフランシスコに本拠を置く非営利団体「グローバル・ヘリテージ・ファンド」が発表した、「崩壊寸前の文化遺産」のうちの1つとのことです。




900年以上経ち、かなり傷んでいますが、細かい装飾が今もところどころに残っています。当時はどんなに美しかったことでしょう・・・栄枯盛衰ですね。





19〜20世紀に起きたトルコ(当時はオスマン帝国)におけるアルメニア人虐殺(トルコ政府は正式に認めていない)をめぐり、2009年に国交が正常化されたとは言うものの、未だにトルコとアルメニア間には深い溝があります。アルメニア系の住民が多い国では、議会でトルコに対しての非難決議を行った国もあり、外圧を受けたトルコがより態度を硬化する結果ともなっています。

政情が不安定な中東に近く、イスラム教徒が大多数を占めるトルコと、隣接するアルメニアとの関係が改善されることで、地域の安定を望むところではありますが、まだまだ解決は先のようです。

at 16:04, ちび, トルコ

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