Nos carnets de voyages (c)Maru & moi
真っ二つに、半分だけが残っているのがとても印象的な「救い主の教会」は1035年頃に建てられ、1955年に嵐によって東側半分が崩壊するまでは、ほぼ無傷であったそうです。
1001年に建てられたという「アニ大聖堂」は、幅30.5m、奥行19.8mという広さで、1071年にセルジューク朝トルコに滅ぼされた後は、イスラム教モスクとして使われていたそうです。
900年以上経ち、かなり傷んでいますが、細かい装飾が今もところどころに残っています。当時はどんなに美しかったことでしょう・・・栄枯盛衰ですね。
19〜20世紀に起きたトルコ(当時はオスマン帝国)におけるアルメニア人虐殺(トルコ政府は正式に認めていない)をめぐり、2009年に国交が正常化されたとは言うものの、未だにトルコとアルメニア間には深い溝があります。アルメニア系の住民が多い国では、議会でトルコに対しての非難決議を行った国もあり、外圧を受けたトルコがより態度を硬化する結果ともなっています。
政情が不安定な中東に近く、イスラム教徒が大多数を占めるトルコと、隣接するアルメニアとの関係が改善されることで、地域の安定を望むところではありますが、まだまだ解決は先のようです。
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